のに、現在、彼は少しも仕事をしていなかった。だから余計、いつ死んでもいいということになった。
但し少しも仕事をしないというのは、彼の主観的な表現である。彼は少しは働いていた。然しそれは本当の仕事ではないというのである。借金がふえると同時に、びっくりして、種々のつまらない仕事をやめて本当の仕事に専心しようと考え、そのために負債整理を企てたのである。茲に断るまでもなく、彼は文学者だった。文学者というものは、本当の仕事とかつまらぬ仕事とか区別をつけたがる。然しその区別は、ただ主観的なもので、恐らく神にだって分るまい。だから、本当の仕事がしたいというのは、実のところ、真剣に働きたいということに過ぎないかも知れない。
負債に煩わされて真剣に働くことが出来ないとすれば、そしてそのごたごたした負債を整理することも出来ない世の中だとすれば、死んだ方がいいだろう、という風に、いつ死んでもいいという彼の気持は、死のうかなあという動きに変った。
「そこで千代子にそう云うと……。」と彼は私に話し続けるのだ。
千代子というのが彼の愛人なのである。愛人という言葉は少し変だが、実を云えば、彼と惚れ合ってる芸者
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