。実物でなくて写真で済むから便利だ。それらを仔細に観察してゆくと、文字だと思われるものが実は模様だったり、模様だと思われるものが実は文字だったり、そして最後には両者の区別のつかない一線につき当る。その線上では、人間の言葉と身振りとが合致するのだ。
夜更けまで、書斎で文献を読みあさっていると、三千子がやって来る。家の者はみな寝てるので、自分で戸締りをして、書斎にはいって来、熱い茶をいれて飲む。そういう約束になってるのである。
「ああくたぶれた。……まだなの。」
「もうちょっと。先にやすんでていいよ。」
彼女は不満そうに、火鉢の炭火をかき立てて、何かと僕に話しかける。だが、まとまった話題のある筈はない。古代文字なんかに彼女が興味を持たないと同様、酒場の些事なんかに僕は興味を持たないのだ。
伊豆山温泉に行った時も、そのことで彼女に怒られた。朝から少しばかり酒を飲んで、僕はただ、浜辺に鴎が群れ飛ぶのを眺めていた。彼女はいろんなことを話しかけた。酒場の経営に骨の折れること、貸し倒れが多いこと、陽気な客のこと、陰気な客のこと、嫌味たらしい客のこと、好いたらしい客のこと……ほんとに好きになりそ
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