返しておかなければ、もし僕が死にでもしたら……とそう思って、急いで金を拵えて持って来たのだ。河野君にとっては、金を返す返さないが問題じゃない。もしそれだけのことだったら、僕が生きてるうちに返そうと、僕の死後敏子へ返そうと、同じじゃないか。僕にとっては、八百円の金くらい何でもないことを、河野君はよく知ってる筈だ。僕はあの時から、……もう四五年になると思うが、一度だって金のことなんかを河野君に云った覚えはない。僕の一寸したあれだけの好意でも、河野君の生活に何かの役に立って、それで河野君が立派な作品を拵えてくれたら、それだけで僕は満足なんだ。金のことなんかどうだっていい。ただ、君から立派な作品が生れるように祈ってると、僕はあの時云っておいた筈だし、其後だって、僕が気にしてたのはただ河野君の芸術だけだった。それなのに、金のことは不愉快だから敏子にまでも隠しておいたのに、こんどのことで、僕は美事に裏切られてしまったような気がする。八百円余った金があって、虚心平気で返しに来てくれたのなら、僕も何とも思やしない。然し、苦しい中を無理算段して、僕の生きてるうちに返さなければ永久に機会を逸する、とそうい
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