一事に私は最後にしがみついていった。そして急に凡てが片付いたような、晴々とした所へ出たような気がした。

      三

 翌日私は郊外の河野の家を訪れた。河野が朝寝坊のことを知ってて油断したために、出かけた後で逢えなかった。それで至急用が出来たから帰ったらすぐに来てくれるようにと、細君に云い置いてきた。その足で私は吉岡の家へ廻った。敏子さんは睡眠不足のはれぼったい顔をしていた。然し吉岡の容体に変りもないことを聞いて私は安心した。河野が来たらすぐに私の家へ来てくれるように頼んだ。
「河野君に逢った上でまた参ります。一寸話をすればすぐに分ることで、吉岡君の心もそれで解ける筈です。でもそれまでは、私が来たことは内緒にしといて下さい。気を遣うといけませんから。」
 そして私は玄関だけで辞し去った。
 河野に逢って一言話しさえすればよい、と私は思っていた。そして自宅で河野を待ち受けた。待ち続けて少し苛ら苛らしてる所へ、午後四時頃、河野はやって来た。
 河野は敏子さんから何か云われたらしく、気掛りな面持で額の毛をかき上げながら尋ねた。
「吉岡君の所へ行くと、君が僕を待ってるということだったから、すぐにやって来た。何か吉岡君にも関係のある話だそうだが、どういうことなんだい。」
 長い髪の毛をもじゃもじゃに乱し、少し時候後れのセルの着物をきて、髭の剃り後を気にするらしく、言葉の合間合間には左手の先で※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]を撫で廻してる彼の様子を見ると、あの八百円が可なり無理をして拵えられたものであることを、私は殆んど直覚的に悟った。そしてなるべく遠廻しに話を持ち出した。
「昨日君は吉岡君の家に行ったそうだね。」
 河野は直截に答えた。
「ああ、昔かりてた金を返しに行った。敏子さんに渡して来たんだが、そのことも君に逢えば分ると敏子さんは言っていた。何か間違ってたのかい。」
「いや間違いというんじゃないが、君が昨日行った時、吉岡君はどんな風だった。」
「どんな風って、非常に機嫌よくいろんなことを話しかけるものだから、一寸のつもりが一時間近くも話し込んでしまった。」
 私はその時のことを詳しく尋ねた上で、吉岡の気持がだんだんはっきり分って来たので、卒直に其後の顛末を述べて、自分の考えを持ち出してみた。
「そういうわけで、吉岡君の気持も首肯けないことはない。然し敏子
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