作品の倫理的批評
豊島与志雄

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)武者小路[#「武者小路」に丸傍点]氏
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 私は今茲に作品の倫理的批評に就いて一二のことを云ってみたい。此の頃大分倫理的批評ということが人の口に上ってきたし、また将来も益々深く進んでゆかなければならないと思うので。但し茲で云う所はほんの雑感という位のものに止めておく。
 私はよく、作者の態度が徹底していないとか、体験が足りないとか、真の苦しみ方が足りないとか云う言葉を聞く。確かに、我国の作者を見廻してもまた私自身の作品を顧みても、そういう欠点は随分と見出し得る。然し乍ら、評者がほんとうに苦しんだか、ほんとうに体験したかという言葉は、聞くことが甚だ少い。これはどういう理由であろうか。又実際我国の批評家を見廻す時、その少しの例外を除いては、彼等が果して作家ほど深い倫理的試練を経ているかどうかに就いては、私は随分疑問を持っている。勿論作家と批評家とは可なり異る立脚地に立つものであるが、問題が倫理的の範囲内に止まる場合には、この言は正当に許さるべきであると
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