の主人公に対する倫理批評と作家の主観に対するそれとが混同されんとする傾きがありはしないかということである。従ってまた、その傾向よりして余り喜ばしくない種類の創作を助長しはしないかということである。
例えば或る自叙伝的な作品の主人公に対して倫理的批評をするとする。そしてその人格的欠陥なり弱点なりを抉出するとする。そしてそれを以て直ちに作者の主観そのものに矛を向けるとする。その時作者が、「あれはああいう人物を描写した作だ。」と云ったならば、評者は何と答えるだろう。これは作者の大なる手腕の勝利だ、そして批評者に対する致命的な反語だ。然しそれはそれとして、その裏を返して云うと斯ういうことになる――或る他の作品に対してその評者はこんなことを云うだろう、「この作品は如何にもまずい。丸で何にも描かれていない。然し其処には作者の力強い主観が現われている。貴い作者の人格の努力がある。それでこの作は救われている。」此の言は或る特別の場合にはその作家に対する親切な激励となる。然し多くの場合には、その作家に危険な影響を与える。
茲で一寸芸術に対する私の考えを述べなければならないが、それは長くなるから、先ず
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