伝統的な趣味がどこにも見えないばかりか、室全体が不調和な雑音を立てている。そして煖炉の一方に、小さな戸棚があって、洋酒の瓶やグラスがはいっている。「忙しい時に、睡気ざましにのむのだ。」と坂田は云っていたが、一体彼に忙しい時というものがあったかどうかは疑問だ。
書斎の横手に、ベッドと小卓と洋服箪笥だけを置いた狭い室がある。夜おそく酔って帰ってきた時など、彼はそこに倒れ伏してしまうのだったが、ふだんは、そのベッドと他の日本室の方と、寝るのは気分によってまちまちだった。
坂田はその書斎にいて、中津敏子を待っていた。――折入ってお話申したいことがございますので、今晩伺わせて頂きます……それほど懇意でもないのに押しつけがましい簡単な文句の速達便だったのである。坂田はそれをまた読み返し、手にまるめようとしたが、こんどは小さく引裂いて屑籠に投げこんだ。そしてちょっと微笑を浮べかけたが、それは憂欝な表情のうちに溺れてしまい、彼は眉根をよせながら煙草をすい初めた。
やがて彼は、机の奥から小型の厚い帳簿を取出して、その第一頁からじっと点検しはじめた。数字と日附と簡単な文字とが並んでいる。それを辿りな
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