って歩きだした。そしてぽつりと、石でも投げるように云った。
「あなたはそれでよく我慢が出来ますね。」
 敏子はちらっと彼の方を見たが、彼の言葉は通じなかったらしく、また顔を伏せて唇をかんだ。
 坂田は歩きながら、独語の調子で云いだした。
「私にはよくこういうことがあります。カフェーだとか、レストーランだとか、表に硝子戸がたっていて、そこから往来が見える……そういうところにじっとしているのが好きで、そして往来を見ていると、いろいろな人が通るんです。菓子屋で幾銭かの菓子を買って、その紙袋を風呂敷に包んで、大事そうに抱えて行くお上さんがあります。が一体、なぜそんな物を食わなけりゃならないんですか。大きな荷物を背負って、自転車にのって走ってゆく小僧があります。なぜそんな荷物を背負っていかなけりゃならないんですか。危っかしいハイヒールの靴をはいて、つんとすまして、とっとっと急いでゆく若い女があります。なぜそんな物をはいてそんなに急がなけりゃならないんですか。そして……あなたは、お母さんのために、家のために、二百円の金を調達に、嫌な思いをして私のところに来たんでしょう。なぜそんなことをしなけりゃな
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