どうにか敏子をなだめ、引裂かれた小切手の破片を持って、坂田に詫びに来た。事情を隠すわけにもいかなかった。坂田は小切手を書きなおして与えた。そして云った。「僕は弁解はしないが、その事件についてはいろいろ誤解もあるようだ。然し、敏子さんの方が恐らく正しいかも知れない。」それきりで、彼はもうその問題にふれたくない様子だった。というよりも寧ろ、そんなことは些事で、もっと重大な問題が彼の心に浮んできたらしい様子だった。
坂田は椅子に深く身を托して、返事を待っていた。敏子は彼の顔を見つめたまま黙っていた。
「どういう御用ですか。」と坂田はくり返した。
敏子の眼には苦悩の色が浮んだ。それをじっともち堪えているうち、彼女の顔は冷くそして美しく輝いてきた。彼女は兄と十二三も年齢がちがい、その間の二人の姉も、一人は結婚し一人は夭折していたが、彼女よりずっと年上だったせいか、彼女のうちにはのんびりした我儘さが残っていて、それが理知的な色に包まれ、更に苦悩の色にそめられると、新鮮な美しさを現わすのだった。そしてまた顔立も、肩が少しくいかついわりに細そりしていて、人中にいる時よりも一人になるほど目立ってく
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