ら殴りつけてやるつもりだとも云った。妹が……あの小切手を引裂いたのは道理だとも云った。「僕はたとえ落伍者であっても、男の意気地は失わないつもりだ。そしてブールジョアの利己心を唾棄するだけの覚悟は、常にある。妹が君のあの小切手を引裂いた心理が、僕にはよく分る。だが君には感謝しているんだよ。全く肝に銘じている。僕はただ一般的のことを云うんだ。妹のあの意気を云うんだ。妹もあとで誤解だったことは分ったらしい。だが、一般的に……一般的にだよ、僕たちは、僕も妹も……ブールジョアは嫌いだ。君をもその点でだけは嫌いだ。もうあんな……不徳義な真似はしないんだろうね。一体、人間の身体を金で買えるものだと思うか。大間違いだ。僕たちが反抗するのは、ただその点だ……。」そんなことを彼はくり返し饒舌りたて、次には、妹の健気な気性をほめ、次には、母親の病気のことや、幼児をかかえてるひ弱な妻のことなど、困窮な家庭生活の内面を曝露するのだった。
 鮨屋から出て、もう人通りもとだえがちな街路で、坂田はきっぱり立止って、中津に十円紙幣を二枚さしつけた。中津はきょとんとしていた。
「取っておけよ。あれからまた一二度借りに来た
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