、或る小さな飲み屋にはいると、中津君が、これも一人で、飲んでいました。それから二人ともほんとに酔っ払って、大に談じて、何が何やら分らなくなったんですが……とにかく、元気でした。」
坂田の憂欝な表情はなお深まっていた。
「兄は、その時、何か申しておりましたか。」
「別にまとまったこともなく、二人でやたらに饒舌りちらしただけですが……。」
敏子はじっと探るように坂田の顔を見ていた。
「あなたは、兄をどう御覧になりまして。」
「どうといって、人間はそう急に変るものじゃありませんよ。変るのは境遇だけです。中津君もこの頃は、たいへん朗かになって、前途に光明を認めてるようですね。昨晩はきき落したんですが、どこか、勤めるようにでもなったんですか。」
そして彼は苦笑をもらした。
俺はその会話を、煖炉の上の好きな場所、例の古い鉄の五重塔の中から、ぼんやり聞いていたのだが、余りに白々しい坂田の言葉だと思った。殊にその苦笑はいけなかった。
「ちがいます。」と敏子も叫んだ。「あなたの仰言ってることは、みんな嘘です。」
全くそれは嘘なんだ。俺は昨晩一緒にいたからよく知っているが、中津はあの時、肱に繕い
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