ともいえるような、薄暗い所だった。その代り押入などは充分すぎるほどあった。
 敗戦国の孤独人、そういう感懐が、三十歳未満の私の精神に却って媚びた。昼間は沖本建築社の事務や外交に働き、夜は労働問題や経済問題の書物を読んだ。室の横手にトタンの庇を出し、その下で自炊をした。
 その自炊場が、田岡政代の家の裏口に向き合っている。私が竈の[#「竈の」は底本では「寵の」]火などを焚きつけていると、お留さんが通りがかりに、なにかと注意を与えてくれる。政代も竹垣の向うから覗いて、退屈ざましのように出て来ては、暫く立ち話をしてゆく、お留さんの注意は、実際的な役立つことばかりだ。だが政代の方は、私が煙にむせようと、炭火の火花に眼を痛めようと、そんなことには一切無関心で、下らない話ばかりだ。でも私としては、いつもなにかよい香りを身につけてる彼女と口を利くのが、ひそかな慰安でないこともなかった。
 彼女は私の雑仕夫的な仕事には無関心な代りに、いろいろな物をくれた。お留さんが持ってくる時は、奥さんからと言い漆える。自身で持って来る時は、何のこだわりもない自然な素振りと笑顔とを示して、私に辞退の気持ちなどは少しも
前へ 次へ
全21ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング