、ただ内にあるものだけが籠ってるのだ。それが訴えるように、私の方へにじり寄ってくる。と同時に、彼女の顔の小鼻の両脇にある溝が、片方だけ深く刻まれてゆく。泣いちゃいや、と私は心の中で叫び、つぎには、東京に行っちゃいや、なに行っちまえ、と一緒に呟いた。――そのとき、私自身、不覚にも眼に涙をためていたのだ。すっかり酔っていたのであろうか。
彼女の手が私の手をしかと捉えた。私はハンカチで眼の涙を拭き、杯に酒を受け、そして微笑んだ。
「ばかね、泣いたりして。」
「あなただって泣いたよ。」
「わたし、泣かないわよ。ただ酔っただけ。」
「僕も酔っただけだ。」
炬燵布団に顔を伏せていると、頭の中がふらふらして、それからじいんと沈んでゆく。その淵から飛びあがるようにして、顔を挙げ、微笑んで、また飲んだ……。
とろとろと眠っただけの気持ちで、私は眼を開いた。まるで見馴れぬ室なので、はっきり眼がさめた。電気雪洞の二ワットの淡い灯が、ぼんやりともっている。神代杉の天井、欄間や床の間、掛軸に活花……。枕頭に水差と煙草盆があったので、水を飲み、煙草を一吸いした。それから着物を着代えた。それまでははっきりし
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