とそう長い識り合いではない。
 終戦後、北京から帰国してきた私は、孤独な自分を見出した。心頼りにしていた姉一家は、戦災に全滅したようだし、他には力になってくれる身内もなく、自分は引揚者の例として、僅かな荷物以外に何の財産もなかった。一時は途方にくれたが、丁度この町に、やはり北京からの引揚者の沖本がいて、数人の仲間を集め、ささやかな建築社を拵えていたので、そこを訪れてみると、よく来てくれたというわけで、否応なく仲間に入れられてしまった。次には住宅に困った。事務所はほんの間に合わせのバラックで、とても寝泊りできるものではない。沖本はふと思いついたように、まあ用心棒にでも住込むか、と言って笑った。田岡政代とお留さんとが二人きりで、旦那の八杉はめったに来ず、無用心だというようなことを、小耳にはさんでいた。早速当ってみてくれた。返事は案外で、室の都合などは問題でなく、ただ、女ばかりだから却って、男のひとは……というわけ。逆に警戒されたのだ。それにも拘らず、彼女たちの口利きで、裏口がすぐ隣り合わせになってる谷口家の、六畳の室を世話してくれた。母屋と仕切られてちょっと出張ってる室だが、物置を改造したともいえるような、薄暗い所だった。その代り押入などは充分すぎるほどあった。
 敗戦国の孤独人、そういう感懐が、三十歳未満の私の精神に却って媚びた。昼間は沖本建築社の事務や外交に働き、夜は労働問題や経済問題の書物を読んだ。室の横手にトタンの庇を出し、その下で自炊をした。
 その自炊場が、田岡政代の家の裏口に向き合っている。私が竈の[#「竈の」は底本では「寵の」]火などを焚きつけていると、お留さんが通りがかりに、なにかと注意を与えてくれる。政代も竹垣の向うから覗いて、退屈ざましのように出て来ては、暫く立ち話をしてゆく、お留さんの注意は、実際的な役立つことばかりだ。だが政代の方は、私が煙にむせようと、炭火の火花に眼を痛めようと、そんなことには一切無関心で、下らない話ばかりだ。でも私としては、いつもなにかよい香りを身につけてる彼女と口を利くのが、ひそかな慰安でないこともなかった。
 彼女は私の雑仕夫的な仕事には無関心な代りに、いろいろな物をくれた。お留さんが持ってくる時は、奥さんからと言い漆える。自身で持って来る時は、何のこだわりもない自然な素振りと笑顔とを示して、私に辞退の気持ちなどは少しも
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