。その夢想が情熱にまで熱せられる時には、如何なるものとなるであろうか。
 私は蛇は嫌いではない。だがフーシェは嫌いだ。――それはそれとして、ここで他のことに想いは走るのである。
 吾々の眼前には今、真の大衆と称して誤りない支那民衆がある。新時代の空気に浴した比較的インテリな人々ではなく、何等かの政治的色彩に染められた人々ではなく、大地から豊饒に生れ出るといわれる一般民衆のことである。数々の戦乱の苦難や被征服の苦渋を嘗めつくし、もはやそれらのことに或る程度麻痺してしまった、そういう伝統を肌身につけてる人々なのである。或は水牛の如く黙々として田畑を耕やし、或は騾馬の如く唯々として荷を運び、或は家鴨の如く騒々しく群れてる人々なのである。
 彼等はその粗服と風雨に曝された皮膚以外、何等の表情をも持ってはいない。顔面の表情のみならず、身体全部の表情を持っていない。彼等が何を考え何を欲しているのか、窺い知る由もない。恐らくは何も考えず何も欲していないのかも知れない。当面の問題はただその日その日の生活にのみあるのであろうか。その心理風景を想像するに、そこには恐らく、一羽の小鳥も鳴かず一茎の野草も花咲
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