かぬことであろう。
 だが、彼等が、何等かの風向によって、一団となって動き出す時、それは非常な勢いとなる。千丈の堤も支えきれない大洪水の如き勢いを呈するだろう。そこにおのずからの情熱が醗酵されるだろう。――その情熱が砂漠の情熱に終ることのないようにということが、人間としての希望であらねばならぬ。ジョゼフ・フーシェからかくも突飛に連想が飛ぶのも、彼等が無性格に終る危険が多いからに外ならない。
 連想はまた飛躍するが、日本の方々の河川の河原には、コンクリートの台柱の上に高い鉄塔をつけて、その上に高圧電気の線が架せられてるのが、幾つも見受けられる。河原に遊ぶ者は、時として、それらの電塔の上方、見上ぐるばかりの高さのところに、藁屑や草根や枝葉などが夥しく懸ってるのに、気付いて小首を傾げる。何のためにそういう塵芥をかけておくのか。登攀を防ぐためであろうか。そうではない。洪水の折、満々たる濁水に流されてきたものがそこにひっかかったのである。日が照り礫が白く乾いてる河原に立って、頭上遙かの塵芥のところまで濁水滔々たる洪水の折のことを想像すれば、思わず慄然とする。
 日本の河川でさえそうである。治水を
前へ 次へ
全7ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング