スタジアムが存在すると同様に、一羽の小鳥もいない心理風景も存在しよう。そしてこの心理風景は砂漠的精神に属するものである。
また、同じような話であるが、市内の四辻などに設けてあるロータリー区劃の中には、如何にも風流気に、芝生が植えられ、灌木があしらわれている。そして多くの雑草が芽生えて、思わぬ時に思わぬ花を咲かせている。この雑草の可憐な花が、時あって人の心を惹くことがある。これは自然の恵みだ。――だが逆に、塵埃をかぶり、ガソリンの悪臭をあび、日光に乾ききって、雑草の花一つ咲かぬロータリーは、如何に佗しいものであろうか。
このイメージから、一茎の花もない心理風景というものが想像される。そしてこの心理風景は砂漠的精神に属するものである。
砂漠的精神、そこには一羽の小鳥もいず、一茎の花もないが、然しそれでも情熱はあり得る。――そういう精神のことを、今私は考えてみるのである。眼前に浮ぶのは、ジョゼフ・フーシェなる人物である。
フランス大革命からナポレオン帝政を経て王政復古に至る時代の、影の人物、謎の人物としてのフーシェのことは、いろいろの人に取上げられているが、最も面白いのはステファン・
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