文学は衆人に奉仕してその慰安娯楽となるべきであり、文学者は畢竟戯作者たるべきである、というような説、つまり、現実肯定の幇間的立場、それに私は反対する。反対するばかりでなく、そんなものはすべて下らないと軽蔑する。現在吾々が置かれてる現実そのものが、すばらしく立派なものであるならばとにかく、実に下らないものであるからして、それに阿諛するものはすべて下らないのだ。
文学が現実の再現であろうとする企図が遂に失敗に終ることは、既に経験ずみである。文学は現実の転位の世界に於ける営みであって、この営みでは、常に現実に対して何かがプラスされる。そのプラスが文学の生命とも言える。近代の文学はそのプラスに眼をつける。近代の文学者はそのプラスに身を投げ込む。小説の批判性や思想性はそこから生ずる。――近頃の小説が如何に評論に近づいているか、如何に多く評論的要素を取り入れているかは、周知の通りである。
また一方、純然たる評論や論説の形式による建造が、可なり頼りないものであること、殊に社会的変動期に於て頼りないものであることを、多くの人々は感じている。そして小説的思考形式、つまり小説的建造の方が、より多く安定
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