。私に対しても元通りだった。
「あんた、すっかり云っちゃったのね。お金を返されて困ったわ。」
 あれから最初に顔を合せた時に彼女はそう云った。
「またカフェーに遊びに来ないの。来ちゃいけないの。」
 二度目にはそう云った。
「カフェーなんかつまんないでしょう。じゃあ、あたしが隙な時、あたしの室へいらっしゃい。」
 三度目にはそう云った。
 然し私は、彼女と話をするのが憚られた。どこからか父が恐い眼付で覗いてるような気がした。その上、カフェーへ行ってからは、彼女の魅力がひどく薄らいでしまった。
「何か怒ってるの。ああ、紙風船を買って来ないから……。」
 そう云って彼女はやさしく笑ったこともあった。
 だが、彼女はいつまでも私に紙風船を買ってくれなかった。私のことなんかは殆んど念頭に置いていなかったらしい。次第に素気なくなっていった。
 その代り彼女は、父の恐ろしい眼付の前に大胆になっていった。
 私は或る日曜日の朝、彼女と父との様子を裏口に見た。父は古釘を叩き止めて、金槌の工合をでも見るような風に、その頭と柄とを両手でぎりぎりやっていた。が眼は、前方へ下目がちに錐のように鋭く注がれていた
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