母が怒り出した。私はも一度殴りつけられた。
そしてるうちに、皆黙りこんでしまった。しいーんとなった。私は云うものか云うものかと思っていたが、気が弛んできた拍子に、お清のことが頭に映ってきた。
私はふと吃驚して顔を挙げてみた。母も姉も一度だってお清の名を口にしなかった。当然そこに持出される筈のお清のことが、皆から忘れられていた。
私は前後の考えもなく、勝ち誇ったように云ってやった。
「お清ちゃんに行ってもいいかと云ったら、いいって云うから行ったんだよ。」
母と姉とは眼を見合せた。それから母は私を見据えて云った。
「お銭もお清ちゃんから貰ったのかい。」
「うむ。」と私は答えた。
「嘘じゃないだろうね。」
「嘘じゃないよ。」
母は何だか少し安心したもののようだった。姉が得意そうに母の顔を見た。私には訳が分らなかった。
けれども、その時私は、そんなことは一度に消し飛んでしまうほど驚いた。父がじいっと私を睨みつけていた。髯の伸びかかった兇悪な方の顔付で、眼を底光らせて、探るように見つめていた。私は胸の底まで冷りとした。
その眼付が後まで胸に残っていた。殺されるかも知れないという気が
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