父はもう私に話しかけてるのでもなかった。杯の酒を見い見い、時々それをぐっとあおっては、ぐずぐず饒舌り続けていた。母はそんなことには頓着なく、小皿の物をつまんだり、自分でもお酒を飲んだりしていた。
おかしな状態だった。がなおおかしなことには、父はいつのまにか仏壇の方へにじり寄って、新らしい位牌と睨めっこをしていた。
「いつまでつけっ放しにしてるんだ。火事でも起したらどうする。」
父はさも忌々しそうにそう云って、よろよろ立ち上りながら、燃えつきようとしてる蝋燭の火を吹き消したが、その後にまた新らしい蝋燭をともした。
「明るくなったろう、ははは。」
そこに屈みこんで、銚子と杯とを両手に取って、仏壇と差向いに酒を飲み初めた。そしていつしか、南無阿弥陀仏を口の中で唱えだして、身体をふらふら揺っていたが、そのまま横のめりに寝入ってしまった。
「仕様がないね。」
母は独語ちながら、父の上に蒲団をかけてやった。
父のところへは、時々仲間の職工達が一人二人ずつやって来て、十分か二十分くらいしては帰っていった。そういう人達に父は余り取り合わないらしかった。母が応対してることさえあった。何の話
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