えが、どうも、薄気味悪くって……。それに、縁の下の……あれだって、いつばれるか知れねえ。奴等の眼が早えからな。」
「ばれるならもうとうにばれる筈じゃないか、お新の友達っていうからね。往きも帰りも一緒なんだろう。」
「だがどうも、合点がいかねえよ。」
それが何のことだか私には分らなかったが、ただその時の感じで、父の方が道理らしい気がした。
然し実は、父の方の間違いだと分ってきた。
或る晩遅く、私はふと眼を覚した。隣りの室に、父も母も寝間着の上に着物をはおって坐っていた。その前に、カフェーから帰ってきたままの姿で、姉がいきり立っていた。
「家の近くにいちゃいけないというなら、あたしからお清《せい》ちゃんにはそう云うよ。ばかばかしい。人の情人《いろおとこ》を探偵と間違える者がどこにあるものかね。だからお父つぁんは耄碌したって云われるんだよ。」
「だが、こないだなんか、朝っぱらからやって来て、家の中をじろじろ覗き込んでいったぜ。」
「そりゃあ、隣りだし、あたしの家だってことが分ってるからだよ。これであたしがちゃんとしてるからいいが、もし色っ気でも出して、男につけ廻されるようなことになったら、お父つぁんは死んじまうだろうよ。ほんとにばかばかしくって、呆れ返っちまうわ。」
「いや俺も、寺田さんの一件やなんかがなかったら、こんなに気を揉みゃあしねえが、あれ以来何だが気が弱っていけねえ。それにしたって、今晩はちとひどすぎるじゃねえか。塀を乗りこしたりしてさ……。」
「そりゃあもう夢中なんだから、それくらいのことはするだろうよ。」
「お前さんだって、」と母が口を入れた、「若い時のことを考えてごらんな。女を追い廻したことだってあるだろう。」
「ふーむ、あんなに執念深えもんかな。」
「ええ、あの人は特別なんだってさ。それをまた、お清ちゃんが嫌で嫌で、振りぬいてるもんだから、なお逆せ上っちまうんだよ。」
「ほう、いい男なのか。」
「いやな奴さ。」
それから話は、お清とその男とのことになっていった。その時聞きかじったことや後で分ったことなどを概括すれば、お清はもと静岡で女工をしていた。するうちに、そこの年若い事務員と愛し合って、何かごたごたがあって、二人で東京へ出奔してきた。男は或る保険会社の外交員になったところが、生活難や虚栄心や其他いろんなことからだろうが、半年ばかりのうちにお清は男を捨ててカフェーにはいった。そして間もなくふしだらに身を持ちくずした。その頃から、前の男が執念深くつき纒ってきた。それをお清は逃げ廻っていた。――その男というのが、父が問題にした男である。
私は眼が覚めたのを床の中にじっと我慢していたので、ひどく窮屈で息苦しかったし、また隣室の話が低くなったので、ごく大体のことしか聞き取れなかったが、父はむやみとこまかくこまかくつっ込んで尋ねているらしかった。それがしまいには、わきから聞いてると不思議なほど執拗くなっていった。お清と男との間柄ばかりでなく、お清の周囲のことから日常の振舞まで、根掘り葉掘り問い訊していた。私には誰の顔も見えなかったが、その時の父の眼付は、いつぞや学校の帰りに出逢ったあの男の眼付と同じようだろうと、そんな風に思われるのだった。
姉はとうとう腹を立てたらしかった。
「どうするの、そんなことまで聞いて。あたしはお清ちゃんの番人じゃないよ。」
暫く話声が途切れると、父は云い訳でもするように口籠っていた。
「なあに……よく聞いておかなくっちゃあ、安心がならねえからな。……すると、じゃあ何だね……。」
そしてまた父は訊問を続けていった。
「知らないよ、もう……。お清ちゃんにじかに聞くがいいわ。」
姉は本当に怒りだしたようだった。父もそれきり口を噤んだ。
その時になって気付いたことなんだが、父と姉とがお清のことを話してる間、母は殆んど一言も口を利かなかった。それも私に変な感じを与えた。そして、父の執拗な問いと母の沈黙とが、冬の夜更のひっそりした寒さの中で、私の幼い頭に絡みついてきた。
私は頭から布団を被った。長く眠れなかったような気がする。父母と姉とはまだ起きていた。間を置いては何だかもそもそ話をしていた。
私は父の方のことは殆んど気付かなかった。そして新たな興味でお清に近づいていった。姉の話を聞いてから、お清が何だか晴れやかな華々しいものに思われた。それは自分達のじめじめした生活とは全く別な世界のようだった。
前に述べた通り、私は彼女と顔を合せる機会はごく少かったが、それでも日曜日にはいつでも逢えた。彼女は姉と連立ってカフェーに往復していたので、朝はよく姉を誘いに来た。それからまた彼女は屡々カフェーを休んでいた。そんな時は大抵|午《ひる》近くまで寝ていて、何処かへ出かけてゆくこともあり、室の
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