とだけしか感じなかったが、今になっていろいろ考えてみると、父に同情したくなってくる。長年やり続けてきた労働を突然奪い取られてしまい、古釘なんか叩いて僅かに生理的なごまかしをつけ、その上、もう世の中に用がないという気持から、酒にばかり浸っていたところへ、何かの機会から若い女の肉体に心惹かれてゆく……。そこにはどうにもならないものがあったらしい。その上父は、元気こそ衰えていたが身体はまだ丈夫だった。私は父の心の動き方の特殊な点を考えては、父にも仕事さえあったら……とそう思わざるを得ない。寺田さんの云い草ではないが、人間には死ぬまで仕事を与えるがよいのだ。仕事を奪うことは残酷であり罪悪である。
 それにしても、私は父の執拗な眼付をこまかく見て取ったことに、一種の羞恥を感ずる。私がもしお清に対して全然性的無関心でいたら、ああまで深く父の眼付が私の心に刻みこまれはしなかったろう。
 私はただ胸をどきつかせてばかりいた。漠然とした不安と恐れとに押っ被されて、出来るだけ身を隠しながら見てるより外に仕方がなかった。
 お三代はひどく低能だった。その代りひどくおとなしかった。そして皆から無視されがちだった。お新は夜十二時過ぎでなければ帰って来なかった。それを母は眼をしょぼしょぼさせて待っていた。母は気性はあくまでも確かだったが、眼は益々悪くなっていった。いつも目脂《めやに》をためてじめじめした眼付をしていた。夜は何も出来なかったけれど、昼間はせっせと内職の竹楊子を拵えていた。その惨めな仕事に時々、父のカンカンいう金槌の音が織りこまれた。が大抵は、父はもう酔っ払ってばかりいた。そして炬燵にねそべっていて、不意に飛び起きては眼をぎろぎろさしていた。
 不幸なことは、お清につき纒ってる例の男が、益々執念深くなってゆくようだった。夜遅く父がむっくり起きるのを私は見たことがあった。ただ、父は初めほど戸締りを厳重にしなくなった。というよりも寧ろ、戸を開け放しておきたがってるかのようだった。私は一度も見たことのないその男に対して、さまざまの空想を逞うしながら、幽鬼にでも対するような恐怖を覚えた。
 お清とお新だけが、凡てに無関心に伸び伸びと振舞っていた。大抵連れ立ってカフェーに出かけていった。が気のせいか、お清は次第に醜くなるようだった。
 或る朝、顔を洗ったばかりの彼女を見て、私は吃驚した。混血
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