たりしちゃ。壁にでも……屋根にでも……投るものよ。いいからいらっしゃい。」
彼女がほんのちょっちょっと指先で手招きしたので、私は何のことだか分らなかったが、やはり顔をふくらましたまま近づいていった。
「なあに。」
彼女の方からそう尋ねかけて、私の顔をじっと見入ってきたので、私はなおまごついてしまった。
「どうしたの。」
そこで私は咄嗟に思いついて云ってやった。
「風船玉……。」
「あ、あれ。忘れちゃった。こんど買ってきてあげるわ。……でも、あんた誰から石を投ることを教わったの。」
「教わらなくたって、石くらい放れるよ。」
「え。」
「放ってみせようか。あの木だって越せるよ。」
「そう……。」
曖昧な返辞をしておいて、それからふいに彼女はあはははと笑い出した。こないだのとはまるで違った、男のような笑い方だった。
「あっちから廻っていらっしゃいよ。誰もいないわ。」
私が一足も動かないうちに、障子はもう閉っていた。
私は木戸を押し開けて、縁側の方に廻った。
「何をぐずぐずしてるの。」
私は思いきって上っていった。
彼女は顔の化粧を直してるところだった。後ろ向きになって、私の方を鏡の中に映してみながら、猫のような手付で気忙しく顔をこすっていた。その目まぐるしいほどの手の運動と、鏡の端に映った自分の顔半分とに、私はすっかり気圧《けお》されて、顔を外《そ》向けながら室の中を見廻した。
寺田さんの時とは全く違ってしまっていた。薄暗くがらんとして而もちゃんと整ってたのが、今は乱雑に散らかってぱっと明るかった。柱にかかってる着物や、座布団や炬燵布団や、鏡台のまわりの化粧壜や、机の上に盛り上ってる雑誌や小箱や人形など、どれもこれも手当り次第に放り出されて派手な明るい色に浮出していた。そして室の隅には、油の肖像画が一枚不似合に置いてあった。
やがてお清は化粧刷毛を投げ出して向き直った。
「そんなところに坐って、何してるの。」
私はむっつりして顔を外らしていた。
「あ、あの絵、あれはあたしを書いたのよ。展覧会にも通った立派な画家のよ。似てるでしょう。」
然しちっとも似てないように私には思えた。
それから彼女は私にいろんな物を見せた。写真だの絵葉書だの函迫《はこせこ》だの人形だの……。小さな人形が沢山あるのに私は驚いた。
そんなことをしてるうちに、遠くで私の名を呼
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