は男を捨ててカフェーにはいった。そして間もなくふしだらに身を持ちくずした。その頃から、前の男が執念深くつき纒ってきた。それをお清は逃げ廻っていた。――その男というのが、父が問題にした男である。
 私は眼が覚めたのを床の中にじっと我慢していたので、ひどく窮屈で息苦しかったし、また隣室の話が低くなったので、ごく大体のことしか聞き取れなかったが、父はむやみとこまかくこまかくつっ込んで尋ねているらしかった。それがしまいには、わきから聞いてると不思議なほど執拗くなっていった。お清と男との間柄ばかりでなく、お清の周囲のことから日常の振舞まで、根掘り葉掘り問い訊していた。私には誰の顔も見えなかったが、その時の父の眼付は、いつぞや学校の帰りに出逢ったあの男の眼付と同じようだろうと、そんな風に思われるのだった。
 姉はとうとう腹を立てたらしかった。
「どうするの、そんなことまで聞いて。あたしはお清ちゃんの番人じゃないよ。」
 暫く話声が途切れると、父は云い訳でもするように口籠っていた。
「なあに……よく聞いておかなくっちゃあ、安心がならねえからな。……すると、じゃあ何だね……。」
 そしてまた父は訊問を続けていった。
「知らないよ、もう……。お清ちゃんにじかに聞くがいいわ。」
 姉は本当に怒りだしたようだった。父もそれきり口を噤んだ。
 その時になって気付いたことなんだが、父と姉とがお清のことを話してる間、母は殆んど一言も口を利かなかった。それも私に変な感じを与えた。そして、父の執拗な問いと母の沈黙とが、冬の夜更のひっそりした寒さの中で、私の幼い頭に絡みついてきた。
 私は頭から布団を被った。長く眠れなかったような気がする。父母と姉とはまだ起きていた。間を置いては何だかもそもそ話をしていた。

 私は父の方のことは殆んど気付かなかった。そして新たな興味でお清に近づいていった。姉の話を聞いてから、お清が何だか晴れやかな華々しいものに思われた。それは自分達のじめじめした生活とは全く別な世界のようだった。
 前に述べた通り、私は彼女と顔を合せる機会はごく少かったが、それでも日曜日にはいつでも逢えた。彼女は姉と連立ってカフェーに往復していたので、朝はよく姉を誘いに来た。それからまた彼女は屡々カフェーを休んでいた。そんな時は大抵|午《ひる》近くまで寝ていて、何処かへ出かけてゆくこともあり、室の
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