を醸し出していた。
大人って馬鹿なものだな、何をびくびくしてるんだろう、とそんな風に私は考えていた。
或る日私が学校から帰ってくると、途中で、汚い身装《なり》をした労働者風な男が、にこにこ愛相笑いをして近づいて来た。
「あなたは西村さんの坊ちゃんじゃありませんか。」
私は喫驚して立止った。そんな丁寧な口を利かれたことは滅多になかったのである。
「西村さんの坊ちゃんでしょう。」
「そうだよ。」と私は多少得意になって答えた。
「そんなら、あの……寺田さんをよく知っていらした……。」
男は腰を低く屈めながら私の顔を覗きこんできた。
「そうだよ。」と私は答えた。
「では、寺田さんの居所《いどころ》を教えてくれませんか。わたしはもと、寺田さんと一緒に、子分同様に働いてた者ですが、急に用が出来て、寺田さんを尋ね廻ってるんです。何処へ行っても分らないから、あなたのことを思い出して……ええ、寺田さんから聞いていたんですよ……あなたなら御存じだろうと思って、家の方へ尋ねていくと、学校からまだ帰らないというんで、学校へ行ってみようと思ってたところです。……ねえ、坊ちゃん、寺田さんは今、何処にいるんです。」
「僕は知らないよ。」
私は相手の様子を見調べた。初めから何だか変な奴だなという気がした。かねて聞いてたところでは、職工とそうでない者とは、手を見れば、殊に手の節を見れば、一番よく見分けがつくそうだった。が生憎その時男は古い外套のポケットに両手をつっ込んで、両肩をねじり加減に前方へつき出していた。その恰好は如何にも見すぼらしい職工風だった。然し、妙に鋭い眼付と耳の前の黒子《ほくろ》とが何だか[#「何だか」は底本では「何だが」]変だった。職工にだって耳に黒子のある者はいくらもある筈だが、その男の黒子はどうも職工らしい感じではなかった。
「じゃあほんとに知らないんですか。」
男は私の眼をじっと見つめてきた。
「本当に知らないよ。」
「そいつあ、弱ったなあー。」
男は何と思ったか、五十銭銀貨を一つ取出して、強いて私に握らした。
「わたしが寺田さんを探し廻ってることは、誰にも……家の人にも、内証にしといて下さいよ。警察にでも知れると一寸厄介ですから。……では、坊ちゃんは本当に知らないんですね。」
「ああ知らないよ。」
「弱ったな。」
男はなお暫くもじもじしていたが、溜息をつきな
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