となり、杉茂登にも二人名義の不義理が重なってゆきました。檜山は多少の株券を売却し、大切な蔵書にも手をつけかけてる様子でしたが、外泊が度重なるにつれて、妻子のある家庭では紛議がもちあがりかけてるようでした。菊千代の方でも、梶さんの一種の戦死のあとのことゝて、さすがに朋輩間の蔭口も聞き捨てにならぬものがありました。新小松の菊千代といえば、相当に意気と張りとで立ったもう姐さん株でありましたが、その沽券も崩れかけてきたようなひがみ心が、彼女自身のうちに芽を出しかけてきました。そこへまた、熱海で堅気になってる梅葉姐さんから、熱海へ戻って来ないかと熱心な勧誘がありました。――東京の焼け残りの狭い家に、幾人ものひとたちと同居してるよりは、熱海の静かな家に住んだ方がよかろうということ、どうせ花柳界はまた閉鎖になる運命にあるらしいこと、熱海には今のところ、長唄と踊りの適当な師匠がないので、菊千代が来てくれれば、皆が喜ぶだろうし、長唄を教え踊りの手ほどきなどして、充分に生活も出来るだろうということ……。梅葉姐さんは東京まで出て来て菊千代に説きました。
「あの、先生とのことも聞きましたよ。だけど、末長く続くものでもありますまい。それとも、別れられないというのなら、熱海にいても、逢えるではありませんか。芸者稼業なんかより、遊芸の師匠の方がりっぱでよくはありませんか。田舎のお母さんや兄さんたちも、その方を喜んで下さるに違いありませんよ。」
 菊千代は長い間うつむいていましたが、やがてきっぱりと眼を挙げて答えました。
「よく分ったわ。もうちょっと、考えさしてね。」
 然し、考えることなどありませんでした。ただ気持ちの問題だけでした。眼をつぶって二階から飛びおりたようなあの気持ち、それをどうすればよいのでしょう。また、檜山さんは或る時、船を焼くという話をしたことがありました。昔のこと、遠い国のこと、知らない土地を占領に出かけた勇敢な人々は、海を渡って来た自分の船をそこで焼き捨てて、帰りの退路を自分で絶ち切ってしまったとか。それと同じ気持ちだと檜山さんは言いました。その檜山さんの気持ちをどうすればよいのでしょう。
 菊千代はその頃、俥が嫌いになって、はでなお座敷着でないのを幸に、考えながら歩いて杉茂登へ行きました。堀割の水に灯がちらほら映っているのを、我知らず足を止めて眺め入ることもありました。す
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