の霧は、その尾根の上で巻き返すとたん、牛乳が水に融ける程度に、薄らいで消えてゆく。
その濃霧の底から、遙かな下方から、幅広い澄んだ声が聞えてくる。耳を傾けると、仏法僧の鳴き声である。二三ヶ所から、互に鳴き交している。仏法僧は夜間に鳴くものと聞いていたが、濃霧のため、昼と夜とを混同したのであろう。だが、山上の濃霧のなか、遙か下方から響いてくるその鳴き声は、仏法僧の別名たる慈悲心鳥の名にはふさわしくなく、慈悲を絶した天上的な明朗さを持っている。
いつまで耳を傾けていても、霧のなかのその声は絶えない。私はもうその声をも後にしなければならなかった。天候の変化を恐れたのではない。時間の不足を懸念したのだ。下山の折の速力を加算しても、六時間を五時間半以内に短縮することが如何に難事であるかを、私の足は知った。私の足はもはや随分と疲労している。
馬の背越を過ぎて、少しく下り道になる。これで第二段階は終ったのだ。次で第三段階の登攀となる。その登り口を、天の河原という。天孫を記念するささやかな碑がある。今やこの天の河原も、霧に巻かれてしまっている。高千穂の頂上はすぐそこにある筈だが、それ濃霧に隠れ
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