ものはもはや存在せず、ただ自然の風景が存するのみだと、そう説かれる。それは真実であればあるほど、吾々は自然に対する一種の郷愁を感ずる。地上の巣に対する空飛ぶ鳥の郷愁だ。
高千穂山腹の天然林のなかで、都市ははやくも遙か後方に遠ざかる。都市が後方に遠ざかることは、原始へと遡ることだ。
山道は、谿谷の左岸づたいに上ってゆく。谿谷のなかには、ささやかな流れがある。木の間がくれに見える谿谷は、青苔のはえた岩石で、そのなめらかな岩肌が川床となっている。岩肌の上を流れおちる水は、清冽だが、殆んど音を立てない。
十和田湖の水をおとす奥入瀬の谿谷は、急湍奇岩で人を魅惑するが、ここのささやかな谷川は、それが木の間がくれに隠見するだけに猶更、そして岩肌の上を音もなくすべり落ちるだけに猶更、人の眼を惹き心を惹く。
私はふと、三好達治の詩を思い起した。
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この浦にわれなくば
誰かきかん
この夕この海のこえ
この浦にわれなくば
誰かみん
この朝この草かげ
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詩の感覚を置き換えたのである。浦ではなくて山道だ。海ではなく天然林だが、深い天然林には静寂そのも
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