の霧は、その尾根の上で巻き返すとたん、牛乳が水に融ける程度に、薄らいで消えてゆく。
 その濃霧の底から、遙かな下方から、幅広い澄んだ声が聞えてくる。耳を傾けると、仏法僧の鳴き声である。二三ヶ所から、互に鳴き交している。仏法僧は夜間に鳴くものと聞いていたが、濃霧のため、昼と夜とを混同したのであろう。だが、山上の濃霧のなか、遙か下方から響いてくるその鳴き声は、仏法僧の別名たる慈悲心鳥の名にはふさわしくなく、慈悲を絶した天上的な明朗さを持っている。
 いつまで耳を傾けていても、霧のなかのその声は絶えない。私はもうその声をも後にしなければならなかった。天候の変化を恐れたのではない。時間の不足を懸念したのだ。下山の折の速力を加算しても、六時間を五時間半以内に短縮することが如何に難事であるかを、私の足は知った。私の足はもはや随分と疲労している。

 馬の背越を過ぎて、少しく下り道になる。これで第二段階は終ったのだ。次で第三段階の登攀となる。その登り口を、天の河原という。天孫を記念するささやかな碑がある。今やこの天の河原も、霧に巻かれてしまっている。高千穂の頂上はすぐそこにある筈だが、それ濃霧に隠れて、ただ、砂地に岩塊をちりばめた急峻な斜面のみが、尺余の植物の茂みをあちこちにそよがしている。
 その斜面にとっついて、最後の努力を試みるだけだ。目指す頂上が見えないことは、努力を一層苦しいものにする。
 理想は常に永遠の彼方にあるものかも知れない。然し永遠の彼方にあるにせよ、一筋の道を進む者は不断にそれを眼で見ている。眼で見ていることが永遠の道程を進む支持となるのだ。
 だが、高千穂の頂上は、たとえ見えなくとも、すぐそこにある筈だった。私の足は疲れきり不随意になりながらも、岩角や砂礫の上を攀じ登っていった。
 霧の中から、鉄柵の如きものが仄かに浮き出してき、その先は空漠たる雲霧だ。それが絶頂だった。
 私はまず、鉄柵のなかの岩石の堆積に逆さにつきささってる天の逆鉾に向って、暫く瞑目した。それから、地面を匐ってる草の上に腰を下して、携えていたサイダーを飲んだ。この時、煙草を所持していないのに気付いて自ら驚いた。麓の旅館に上衣をぬぎ捨てた折、そのポケットに煙草を置きざりにしたのだ。あれほどのべつに煙草を吸う自分が、今まで煙草のことを忘れていたのが、不思議に考えられた。不思議なのは、この頂上で煙草を所持していないのに気付いても、ただそれだけで、大して吸いたくも思わなかったことだ。煙草などは濃霧のなかに消えてしまえ。
 霧そのものは霽れそうになかった。晴天ならば、霧島火山群の十八の主峯、それらが懐く噴火口、遙か遠くには鹿児島湾の風光など、秀麗な眺望が展開する筈であるが、今はただ朦々漠々たる雲霧に四方をとざされているのである。だが、私はそれを憾みとはしなかった。
 思いは神代の古えに遡る。神話の世界の雲霧が、そのまま今も、高千穂頂上に渦巻いているのだ。海抜千五百七十四メートルは山としてはさほど高くはない。然しその峯は如何なる山よりもぬきんでている。日本神話の息吹きは、海洋神話の生ける代表者として、また生ける指導者として、大東亜海を蔽いつつあるからだ。近くには台湾高砂族の海洋神話が、遠くにはインドネシア種族のさまざまな海洋神話が、この息吹きのなかに抱擁されようとしている。
 幻想は限りなく続き、そして幻想は時間を食う。私は我に返って立ち上り、濃霧のなかで大きく呼吸し、そして濃霧に感謝しつつ、宙空に浮いてる感じのその峯から、一気にかけ降りていった。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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