また忽然と、意外な景色が展開する。
 ゆるやかな斜面に開けてる砂原だ。小石交りのその広い砂原は、昔の氷河の跡かとも見え、雪崩の跡かとも見え、或は大河の跡の河原かとも見える。処々に小さな灌木の茂みが風にそよいでいるだけで、広い平らな砂原の肌はぬくぬくと日の光を吸っている。然しここは既に海抜千メートル以上の高地で、高千穂河原という。
 高千穂河原とは、往昔、高千穂噴火によって焼失した霧島神宮の古宮址なのである。今はこの古宮址の上手に、古式の祭壇が設けられている。石段を上った平場に、玉石が敷きつめてあり、奥の石畳みの中央に、巨大な自然石が三個立ててある。この祭壇の簡明清純さは、わが民族の潔癖性がわが民族の神性と繋がりを持つことを示してくれる。
 祭壇の手前の砂原につき立ってる鉄管から、清水をくんで、腹の底まで冷徹になった思いをしながら、道を左手にとって、急坂にさしかかる。頂上まで二キロほど、最後の難所だ。

 高千穂登山は、明確に三段に分たれ、三様の情緒を味わしてくれる。第一は、幽邃な天然林の中の山道だ。第二は、高燥な小松林の中の山道だ。第三は、急峻な登攀だ。この登攀がまた、三段跳びをなしている。
 高千穂河原からの第一段階は、灌木の茂みの中を登っている道で、地面は堅く、足がかりの岩石が突出している。
 ここを通過すれば、少しく平らな尾根に出る。
 尾根はすぐにつきて、急斜面が前方に壁立している。代赭色の火山礫に蔽われていて、踏みしめてもずるずると半ばは滑る。崩れおちた砂礫の色合で、漸く道筋は分るが、それも山肌一杯に拡がっている。つまり、まっすぐ一直線には登り得られず、稲妻形に登ってゆくのだ。或る所は真赤であり、或る所は黄色みを帯びている。
 中途に、大きな岩石がつき出ている。ここで立止って、一息つくのだが、更にすぐ頭上には、一層大きな岩石が一つ、威嚇するようにつき出ている。どうしてもそこまで辿りつかねばならない。
 青みを帯びたその岩石は、縦横に無数の深い亀裂がはいっている。その亀裂に驚かされて、なおよく見んものと、裾を廻って上方に出れば、もはや岩の亀裂などは問題でなく、足下に開ける噴火口に心は惹かれる。
 海抜千四百メートルの御鉢火口である。直径五百メートルのこの火口は、正しい摺鉢型をして、底に赤褐色の水を少し湛えている。実に端正な可愛い火口だ。然しそれは、あまりによくまとまっている故か、この山上、じっと眺めていると、なにか象徴的なものとして感ぜられる。
 およそわが国の噴火口では、浅間のそれが最も端麗でもあり壮大でもあろう。直径七百メートルもあろうかと思われる円い火口は、中途から殆んど垂直をなして深くえぐられ、その底から、濛々たる噴煙に交って、地底の轟きがわきあがってくる。払暁、東天が白んだばかりで日光はまだささない頃、火口を覗きこめば、赤熱した熔岩のわきたつのが見られる。
 それに比ぶれば、この御鉢火口は、なんとつつましく明るく、そしてあらわに自身を白日に曝してることか。だが、余りにあらわなものは、噴火口の如く熱火を内蔵する種類のものにあっては、凝視の上に象徴的な変容をする。内に恃むところある者の微笑がそこに見られる。
 眼を転ずれば、火口より右方に、鹿児島湾から桜島まで、一望のうちに見える。御鉢火口を顧み、更にまた桜島を眺めて、その噴火口に私は思いを馳せる。桜島の頂は雲に隠されているが、その雲には噴煙が交っているのだ。
 ただ悲しい哉、桜島は大正三年の大噴火の折、熔岩のため、大隅の方の海岸と陸続きになってしまった。あの美しい桜島、一日に七度も色が変るという桜島は、永久に島であれかしと願うのは、私の幼稚な童心の故であろうか。
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東海の小島が磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる
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 そう石川啄木は歌った。その情緒はもはや過去のものとなった。その代りに、島の情熱が蘇生してきたのだ。この情熱は、あらゆる感傷を排して、ただ生成の悦びに酔う。無数の島々が大東亜海に新たな生成をなしつつある時代だ。島と島とは海で繋っている方がよろしい。九州も島だが、それと陸続きにならないで、桜島はやはり永久に小島のままであってほしかった。
 桜島は雲にかくれてゆく。梅雨期の天候は変りやすい。顧みれば、御鉢火口の反対側は、全く濃霧にとざされている。私は道を急がねばならない。
 火口のふちを左手に進むところが、所謂馬の背越である。右側は火口の斜面、左側も殆んど断崖に等しい急斜面、その間の砂礫の道が、馬の背ほどの広さだという謂であろう。
 この馬の背越は、大抵風が強い。風は左側の断崖から吹きあげてくる。その風に乗って、ただ一面に濃霧だ。濃霧は馬の背越の頂で、ふっと切れて巻き返している。波のように湧きあがってくる乳色
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