、」とその時妻が眼付で笑いながら私へ云いました、「平田さんは東京駅から家まで歩いていらしたんですって。」
「歩いて……。そして荷物はどうしたんです。」
「重いバスケットをさげて歩いていらしたんですよ。」
「へえー、東京駅から此処まで……。」
「先生、私は歩むのは平気です。東京の道は分り悪いから、電車やら俥やらに乗るより、歩んでゆくが一番確かだと云われましたから……。」
 そして、私と妻とが眼で微笑み合ってるのを見て、平田も浅黒い顔をにこにこさせました。
 母上
 これはあなたには分らないかも知れませんが、厚ぼったく綿のはいった久留米絣の羽織着物をつけ、小倉の短い袴をはき、吊鐘マントをまとって、重いバスケットをさげながら、東京駅から私の家まで、一里余りの道をてくてく歩いてきた平田の姿は、ひどく滑稽なようなまた朴訥なような、云わば笑っていいか愛していいか分らないものに、私達の眼へは映ったのです。田舎では一里二里の道を歩くのは何でもないことで、平田がやってたように(後で聞いたのですが)、町の中学校まで一里余りの道を、半分以上軽便鉄道の便がありながら、毎日徒歩で通学するのも、別に不思議なことで
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