五日後には、神田の正則英語学校の受験科にはいって、英語の勉強を初めました。
「東京の学校は不親切ですね。」と彼は云いました。「鐘が鳴ると先生が教室にはいって来て、ぺらぺらぺらぺら、恐ろしい早口で饒舌り続けて、そしてぷいと出ていってしまいます。何にも分りはしません。質問する時間もありません。それに少し遅れていくと、もう坐る場所が無くなって、立っておらなければなりません。あんなに不親切であんなに繁昌するのはやっぱり東京ですね。」
 その調子は、不平を感じてるというよりも寧ろ感心しているという風でした。そして彼は毎日出かけてゆきました。その往き返りを、電車にも乗らずに必ず徒歩でやるのです。
「電車に乗ったらいいでしょう。」と私は何度も云いました。「余り歩くと疲れて、勉強の邪魔になりはしませんか。」
「いえ、歩むのには馴れとりますから何でもありません。毎日あれくらいは歩む方が身体のためになります。」
 そして頑固に徒歩主義を続けているうちに、東京の雨や雪は横から降るということを彼は発見しました。
 母上
 東京は一体に風の多い処です。殊に一月の末頃からは猛烈な北風が吹き続けます。雨や雪の降る日
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