まま万世橋の方へ駆け去ってしまった。あたりは再び静になった。
何か人々がどよめく気配がしたので顧みると、三人の男が争っていた。横町の角の所に電柱が一本立っていた。横町には群集が一杯だった。三人の男はその先頭に立っていた。一人は電柱にしがみついていた。黒い着物を着、帽子も被らず、跣足《はだし》のままだった。それを、鳥打帽に駒下駄の二人の男が、しきりに電柱から引離そうとしていた。一人は眼鏡をかけていた。「痛い。」と電柱にしがみついている男は叫んだ。それから必死となってなお電柱に取つきながら泣き声を立てた。「御免なさい、悪い気でしたんじゃない。……おう痛い。ひどいことを! 御免なさい。」私はその男を何ということもなく、牛乳配達夫だと思った。
そういう風に泣き声に叫んでいる「牛乳配達夫」を、二人の鳥打帽の男は鷲掴みにしていた。「ともかく其処まで来い。」と彼等は鋭い声で云った。そして駒下駄で一つ男の向う脛を蹴りつけた。「痛い!」と男はまた叫んだ。一人は彼の左肩を捉え、一人は彼の右腕を無理にねじ上げた。彼は額に油汗を流してなお抵抗した。然しやがて二人の力で電柱からもぎ離されてしまった。ねじ上げ
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