くとは云わないで、やがてはこの借家を買い取るつもりだと云い出した。それには母も賛成だった。可なり古い家ではあったが、普請も間取りも相当によかったし、表にも裏にも地面の余裕があって、庭もわりに広かった。そして自分の家を一軒所有するということが、何よりも母の望んでいることだった。
 そういう風にして、公孫樹は父の「足の皮の養分」を吸って、次第に大きくなっていった。
 ところが、僕が高等学校の折、その公孫樹は隣家の火災のために、半焼になってしまった。
 十月初めの夜中のことだった。「火事だよ、火事だよ、」という母の声に呼び覚されて、僕は驚いて飛び起きた。雨戸が一枚開かれていて、そこから真赤な明るみがさし込んでいた。その雨戸の開かれた真中に、くっきりと一人の男の立姿が浮出していた。それが父だった。
「慌てるな、大丈夫だから。」と父は怒鳴るように云った。「着物を着てしまうんだ。」
 そこで僕達は皆着物を着た。そして父の指図で、母や弟や妹や女中達は大事な物の荷造りにかかった。
「雨戸を明け放しちゃいけない。電気をつけるんだ。俺が相図をするまで、荷物は運び出すな。」
 何で雨戸を開け放すなと父が云っ
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