て、この池の縁までやって来た。道具というのは、大きな釣針を畳糸でステッキの先に結びつけたもの、蚯蚓数匹、大きな竹の筒、風呂敷一枚、それだけなんだ。僕の考えでは、鯉を一匹釣り上げたら、それを竹の筒の中に入れて動かないようにし、上から風呂敷に包んで、門衛の眼をくらましながら、うまく持ち出すつもりだった。
丁度今頃のことだ。新緑の香の籠ってる夜気を吸いながら、僕はあの大木の下の岩の上に腰を下して、黒々とした池の中に釣糸を垂れたものなんだ。
一時間ばかりは何の手答えもなかった。僕はもう駄目かと思って、夜中禁制の釣をしてることが、変にばかばかしくなってきて、取止めもない空想に耽りだした。所が、ふいに……素敵だったよ、ばかに強くぐいと糸を引っ張るものがあるじゃないか。はっと思って、腰を浮かしざまに、力一杯引上げてやった……そいつが、夜目にはっきりとは分らないが、二尺ほどもあろうという大鯉で、水際を離れようという瀬戸際に、尾鰭で一跳ねやったために、僕は思わずよろよろとして、滑りかけた片足を宙に浮かしたまま、ステッキの釣竿を投り出し、両手で岩角につかまって、池に落っこちることだけは免れた。
漸く
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