我に返ってから、僕は釣竿の行方を探してみた。然し池の面は薄暗い闇に包まれて、さっぱり見当がつかない。僕は自分の失敗に苦笑しながら、竹筒と風呂敷とを抱えて、すごすごと帰っていった。図書館の窓が明々と輝いていたり、門衛が永遠の彫像のように控えていたりするのを、僕は横目にちらと見やりながら、変に薄ら寒い感じがした。
 その翌日、僕は制服制帽で何喰わぬ顔をして学校に出た。だがやはり気になって、池の方へ行ってみると、十人ばかりの学生が集っている。ステッキが動く、ステッキが動く……と云って不思議がってるのだ。見ると、なるほど、前晩僕が釣竿に用いた籐のステッキが、池のまん中に浮いて、前後左右に狂うがように動いている。時々静まるかと思うと、またぐいぐいと動きだす。……ははんと僕は思った。がどうにも仕様がなかった。
 それから変な日が続いた。池の面にはいつも籐のステッキが浮いていて、それがどこかの隅にじっとしていることもあるし、あの小島のまわりをぐるぐる廻ってることもあるし、または前後左右に動き廻ってることもある。そのステッキの先の丈夫な畳糸には、大きな釣針がついていて、それを鯉は腹の中までも呑み込んでるに違いないのだ。僕はそれを思うと、気持が苛立ってきて、しまいには神経衰弱にまでなりかかった。然し池の面はいつも静平で、水蓮の花が咲きかけてるし、緑の木影を映している。不思議なステッキも大して人の注意を惹かず、それを始終問題にしてるのは、恐らく僕と鯉とだけだったろう。
 そのうちに、ステッキは水面に見えなくなってしまった。僕は夏の休暇に旅をした。凡てが時のうちに呑みこまれて忘れられた。
 そしてその冬の或る寒い朝のことだ。池の面に氷がはりつめて、スケートさえ出来そうに思えたので、僕は何気なく降りていって、氷の上を恐る恐る歩いてみた。すると、そこの岸辺の塵芥の中に、僕の例のステッキが転がっているのだ。氷を砕いて拾い上げると、浅い水底の泥の中から、ステッキについて畳糸がずるずる出て来て、その先に、泥まみれの魚の頭の骸骨がついている……。
 僕はその骸骨を池の縁に埋めてやって、その上にステッキを立てて置いた。然しいつのまにか、その籐のステッキはなくなり、その場所さえも分らなくなってしまった。もう十年も前の話なんだ。然しこうして今池を眺めていると、その水面に籐のステッキが浮んできて、それがあち
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