して。丁度月が輝いていましたので……。」
「嘘です!」と青年は急に声を立てた。「私はまだ自分の心より外に祈祷を捧げたものはありません。私が祈る時、私は甞て両手を何物かに差出したことがあるでしょうか? 私は……私は何時も自分の胸に、自分の心に向けて手を合せたばかりです。」
「あなた、自分の心に嘘を教えてはいけません。それはあなたの心を殺すでしょう。」
「嘘ではありません!……然し罪悪でもいい。私は凡てを肯定したい。罪でも、涙でも。苦しみに悲しみも、……潔い悲痛な祈りの中には、凡てが力となります。」
「あなたはまだすっかりを御存じない。まことの道は……ああ何と申したらいいか……深い処に……。」
 彼女は強く両手を握り合せた。「深い処にまことの道があります。其処まであなたの祈りを進めなさるとよろしいのです……そして神をお認めになると……」
「それは私の心もまだまだ深い底までとどいてはいないでしょう。」青年は力なく頭を垂れてこう云った。「もうこれが押しつめた底だと思っても、またその隠れた奥の方から何かの囁きがかすかに伝わることがあります。けれどすぐにその声は涙に曇ってしまいます。私はそれを決し
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