た漠然たる思いの影を追った。遠くより来る哀悠が湖水の面にひたひたと漣《さざなみ》を立てている。で側の小さい聖書をとり上げてみた。見るともなしにちらと眼をやると、青年はじっと湖水の面を見つめている。
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――われ爾《なんじ》が冷かにもあらず熱くもあらざることを爾の行為《わざ》に由りて知れり我なんじが冷かなるか或は熱からんことを願う
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 こんな句が彼女の心に留った。一筋の雲影もない澄んだ空は、黄色を帯びた光線を深く一杯に含んでいた。其処から何物か震えつつ胸に伝わるものがあった。それは明瞭《はっきり》と知ることが出来なかった。心持ち首を傾《かし》げて、彼女はまた書物の上に眼を落した。
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――視よ我《われ》戸の外に立ちて叩くもしわが声を聞きて戸を開く者あらば我その人の所《もと》に就《いた》らん而して我はその人と偕《とも》にその人は我と偕に食せん
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 その時ふっと物影が彼女の顔を横《よぎ》った。かの青年がやって来てじっと彼女を見ているのであった。軽く咎むるような心地の眼付でその顔を見返すと青年はこう云った。
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