いいえ、帰りっきりに帰ってしまおうかと思って……。」
 意外、というよりもむしろ、私は呆気にとられた。
「わたしたち、このままでは、いけないんでしょう。」
 そのことなら、私も考えていた。いずれは、結婚しようかとも思っていた。家庭生活についての怖れも、澄江相手ならば少しもなかった。私は彼女によって初めて、羞恥心などを超越した愛慾を知ったのである。私も彼女も情慾については、他人と比較するわけにはいかない、弱い方らしいけれど、弱いなりに何のためらいもなく自然に、二つの肉体は合致して、倦きるということがなかった。これが愛情というものなのであろうか。
「心配しなくてもいいよ。……結婚しようか。結婚してしまえば、何もかもよくなる。そのこと、僕も考えていたよ。」
「結婚……だめよ。わたし、このままでいいわ。このままでいいけれど……。」
 彼女は加津美のお上さんには不義理をするし、叔母さんの方へも工合のわるいことが出来るし、私だって会社に借金をこさえるし、うまくいかないことが分ってると、彼女はぽつりぽつり言うのである。
「だから、結婚しようよ。どうして結婚はだめなの。」
「だって、結婚して、こんど、
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