孤独などということを言い出せば、人は笑うであろう。誰だってみな孤独なことに変りはない。而も群集の中に於ての孤独だから一層仕末がわるい。電車でも満員、街路でも満員、住宅でも満員、オフィスでも満員、その満員の中で、各自にみな孤独なのだ。嬉しいことがあってにこにこ笑っても、どこか苦しくて眉をひそめても、誰も見向きもしない。大声にわーっと喚いてごらんなさい。誰かいたわってくれるひとがありますか。ただ物珍らしい見ものになるだけで、それもほんの暫しの間にすぎず、誰も彼も無関心に通り過ぎてしまう。感情が通じないのだ。言葉というものに表情や身振りまで含めて言えば、言葉が通じないのだ。人間が一人一人、ばらばらに孤立してしまったのだ。
なおその上に、私の孤独は、内気な恥かしがりからもきている。人なかで何か意見を述べることが、私には殆んど出来ない。いったい、独自の意見を持ってるかどうかさえ、自分にも分らないのである。それかといって、普通のこと、当り障りのないことも、なにか白々しくて言えないし、第一、場所と機会に応ずる適当な言葉が、頭に浮んで来ないのである。自分自身のそういう無能さ不器用さが、自分にもよく分っているので、自然と、隅っこの方へ引込んでばかりいたくなる。日常生活の場面の一つ一つが、私には劇場の舞台のような気がし、大勢の人から見られてるような気がし、そのたくさんの視線に私は堪えきれないのだ。
多数の看客の中でも、女の眼は最も意地悪で怖い。だからこちらでは、女に対して冷淡を装わずにはいられない。そういうところから私は、女嫌いだと思われたのであろう。然し、どうして女と限るのであろう。男嫌いと言ったってよいではないか。いっそ、人間嫌いと言ったってよいではないか。
この、所謂女嫌いな私が、あの、所謂男嫌いな彼女と、愛し合ったのである。男嫌いと言われる女に対して、男の方で、いや実は私自身のことなのだが、私の方でどういう感じを持ったかは、前に述べた通りである。女嫌いと言われる私に対して、彼女がどういう感じを持ったかは、私は知らない。
彼女、澄江は、男嫌いだと言われてるからには、もとより良家のお嬢さんなんかではない。小料理屋の女中である。
その小料理屋の加津美へ、私は同僚の永田と共に社長に連れられて、二度ほど行った。三度目の時に、社長は突然笑い声を挙げた。
「澄ちゃんが男嫌いで、松井
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