。とにかく澄江に逢わなければならなかったが、電話をかけるのも気が進まないし、朝から訪れるのもへんなものだし、もし彼女が帰っていなかったら恥さらしだ。
 今日になってみると、なんだか世界が変った感じである。感情も言葉もはっきりとは他人と通じ合わない孤独さ、而も多くの冷淡な視線だけを身に受けてるという佗びしさ、そういうところへ再び突き落された気持ちなのだ。澄江との愛情に包まれて、私はいい気になっていたが、澄江を失ってしまうと、私は以前にも増して一人ぽっちだった。なあに、一人ぽっちだって構うことはない。三十三歳まで生きてきたのだ。年若な女の感傷では、三十三の死を空想することもあるが、私としては……そこが実はぼんやりしていた。
 私は昨夜、夜通し、妄想に耽った。夢現の界目での妄想だった。そして白々と夜が明けそめる頃、はっと眼が覚める思いに突き当った。澄江のことだ。彼女はどうしてあんなに取り乱したのか。私も彼女も可なり酔っていたようだが、記憶に残ってることを一々跡づけてみると、私は重大なことを見落していたような気がする。男嫌いなどということについて、初めいろいろ甘っぽいことを考えていた私は、浅薄極まる馬鹿だった。澄江は実はぎりぎりのところで生きていたのではなかったろうか。そして昨夜のめちゃくちゃは、最後の抵抗の試みではなかったろうか。肉体を投げ出し心を投げ出した後の、最後の抵抗。そんなものが女にあるかどうか私には分らないが、それより外に解釈の仕様はない。あれは、愛想づかしなんかではなかったんだ。分らなかったものだから、私は腹を立てたものらしい。らしい、と言うより外、私には自分のこともよく分らないのだ。
 とにかく、も一度澄江に逢いたい。澄江なしには、私は生きてゆけないかも知れない。素っ裸にされて、打ち震えてる、私自身の姿が見える。
 加津美の前は通りかね、遠巻きにぐるぐる歩き廻った。十二時になったら、昼食をたべに来たのだと、ごまかせるだろう。まだ一時間ほども合間があったが、ただ加津美のまわりを歩くことだけで気が安らいだ。
 瞬間、私は顔に閃光を受けた感じで、物陰に身を潜めた。澄江なのだ。確かに澄江だ。臙脂色の半コートをき、白足袋の足をさっさっと、わき目もふらず歩いてゆく。なにか一心に思いつめてるらしく、自転車が来てもよけようとしない。
 何処へ行くのであろうか。
 私はその跡
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