離婚するのは、いやですもの。」
「結婚して必ず離婚するとは、きまってやしないよ。」
「でも、離婚するようなことになったら、あんまり惨めだもの。いや、わたしあなたと別れるの、いやよ。」
なにかしら、めちゃくちゃなのである。もっとも、彼女が一度結婚したことを私は知っている。彼女は東京へ出て来て、叔母さんのところから女学校に通い、それから、若くて結婚したが、まだ先方へ入籍もすまさないうちに、夫は召集されて戦死してしまった。彼女は叔母さんの家に戻り、ちょっとした恋愛火遊びめいたこともあったらしいが、それも立ち消え、彼女は加津美の女中になってしまった。過去の痛手がまだ心に残ってるのであろうか。私がそのことにふれると、彼女は私を睥みつけるようにして言った。
「わたしはこれまで、誰も愛したことはありません。ただあなただけよ。」
或いは、秋田の田舎に幼な馴染みの男でもあって、世の中を見限り、その男に嫁ぐつもりでもいるのか。
「いいえ、そんなひとは誰もありません。」
私を睥みつけるようにして言う。
「それでは、結婚はだめだとしても、一緒に暮すことにしてはどうだろう。アパートかなにか見つけて、一緒に住み、僕は会社に勤め、君は加津美で働く……。」
「そんな面倒なことしなくても、わたし、今のままでいいわ。」
「今のままではうまくいかないと、君が言い出したんだよ。」
「だから、くにへ帰ろうかと思ったの。」
「然しね、くにへ帰りっきりに帰るのは、僕と別れることになるよ。まさか、僕まで一緒に連れていくつもりじゃあるまい。」
「あなたに百姓は出来ないわ。わたし一人で帰るの。」
「どうも、君の言うことは分らん。いったい、どうするつもりなの。僕と別れたいんなら、そう言ってくれよ。」
「いや、別れたくないのよ。あなたとは、もう別れたくない。それが、わからないの。」
炬燵の上につっ伏して、彼女は泣きだしてしまった。
私はもてあました。全くめちゃくちゃなのだ。何の筋道も立ってやしない。ヒステリー……或いは気が変なのか。然し、これまでそんなことは一度もなかった。彼女はいつも控え目で、内輪にしか物を言わず、駄々をこねることがなかった。それが、どうしたというのであろう。ウイスキーにさほど酔ってるとも見えなかった。むしろ私の方が酔いかけていたのだ。
突然、一つのことが頭に閃めいた……妊娠。
私は彼女の
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