て、巳之助は我に返り、床に就きました。湯たんぽを入れた足先になお冷たい感じがあり、胸元に熱苦しい感じがありました。それを意識から追い払うようにして、椎の木をじっと眺めました。裸の枝、黒ずんだ巨幹、それが中空に突き立ってる静けさのうちに、枯死の寂寥と寒冷とが籠っていました。
――俺はあの椎の木に、甘えてるのであろうか、それとも抵抗してるのであろうか。恐らく両方だ。死を予感する思いは、あれに甘え、その予感を克服しようとする思いは、あれに抵抗する。両者が融合する安らかな境地は、どこに見出さるるであろうか。あれを伐り倒した後の空間に、果してそれが見出さるるであろうか。それはちょっと予想のつかない空間だ。驚異を秘めてるような空間だ。
――あの椎の木には空間が足りなかったと、幹夫は言った。或はそうであろう。火災に焼けたというよりも、空間の不足に窒息したのだとも言える。椎の木ばかりではない。俺の生涯にも空間が足りなかった。官界にも政界にも空間が足りなかった。殊に俺が最も働いた大政翼賛会には空間が足りず、今から顧みても息苦しいようだった。現に俺の家だって空間が足りない。千代子一家の者が同居している
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