りました。下枝の先の若葉も落ちてしまいました。時ならぬ若芽などは一向に出ませんでした。黒ずみ皺だった幹、焦げた枝、それがやはり中空に聳えて、ただ静まり返っていました。
 その姿を、幾度も幾度も、そして長く倦きずに柴田巳之助は眺めました。病床から硝子戸ごしに外を見る時、眼に映るものは殆んどそれに限られるようになりました。時折、坐ってみたり縁側に出てみたりする時、庭の植込み、藤棚や、梅や、椿や、百日紅や、八手《やつで》などに、眼をやることもありましたが、それもへんに無関心で、やがてまた椎の木を見上げるのでした。
 彼はもう発熱を殆んど意識しませんでした。ただ、頭部と足先との重さ、手の不随意な震え、突発的な動悸、なにかの呼吸障害、そんなもの全体から来る重圧のなかに、じっと眼をつぶってるような時間が多くなりました。そして眼を開くと、枯死しかかってる椎の木を見ました。
 或る時、彼は側の者に言いました。
「あの椎の木は、もうだめだな。」
 然し、側の者がそれについて何かと言うのを、彼はもう耳に入れませんでした。だめだというのは、椎の木のことか彼自身のことか区別し難い、昏迷した眼差しでありました。
 ――あの木を伐り倒してしまったら……。
 ふとしたその思いが、次第に彼の心に根を張ってゆきました。
 巳之助の幼時、この椎の大木の下蔭は、なにか怪異な世界に思われました。大きな山蟻が、駆けだしたり立ち止ったりしていました。雨のあとには、大きな蝸牛が匐いまわっていました。時には、黒光りのする兜虫がいました。夕方など、蟇が眼を光らしていることもありました。
 秋になると、椎の実が落ちました。まだ歯の丈夫な祖母は、椎の実が好きで、天火で炒って食べました。祖母が亡くなってからは、子供たちはもう椎の実も拾わず、その辺で遊ぶことも少くなりました。家屋に近い藤棚の下や桜の木の下に、楽しい場所がありました。
 巳之助が中学の上級になりました頃、父と懇意な今井さんのうちの久江が、しばしば遊びに来ました。久江は女学投に通っていて、学校の宿題をいつも巳之助に教わりました。花模様の銘仙の着物に、海老茶の袴を胸高にしめて、髪をおさげにしていました。
 むつかしい問題にぶつかって、巳之助が頭をひねっていますと、久江は他人事《ひとごと》のように言いました。
「男のくせに、そんなのが分らないの。」
 それで[#「
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