に引っかかりました。中空に聳えて、風にちらちらと葉裏を見せてる茂みに、頂から地面近くへと、幾筋もの銀箔が垂れ懸って、太陽の光にきらきら輝き、その間に椋鳥や雀が囀ってる様は、なにか祝典の樹のようでありました。そしてこの上空では、高射砲弾の炸裂の煙も、飛行雲も、B29[#「29」は縦中横]の姿も、すべてがゆったりとした美観を具えていました。
 そうした祝典も、やがて、局面が一変しました。或る夜深更、椎の木は火焔に包まれたのです。
 椎の木は、ちょっとした崖の縁に立っていました。その崖の下一帯が、焼夷弾の密集に見舞われました。蒼白い閃光に次いで、赤い焔が人家の軒先に流れ、あちこちから、どっと燃え上りました。風が加わると、それが一面の火焔となりました。
 火焔は崖に沿って巻き上りました。巻き上り巻き上り、高い火先は、逆に後ろへ巻き返しました。恰もこの崖のところへ、下からと上からと二つの逆風が合流してるような工合でした。或る寮になってる大きな建物から、最も大きな火焔が巻き上りました。それを、椎の木は真正面に受けとめました。
 椎の木は傲然とつっ立っていました。その茂みに沿って、火焔は高さを競うかのように巻き上りました。青葉の壁と火焔の壁と、すれすれに対抗しました。暫くすると、その二つの壁が密着し、ついで互に喰いこみました。一時は、青葉の壁が火焔の壁を抱き込んで制圧するかと思われました。その時、なにか深い戦慄が起りました。そして……それまで自若として抵抗し続けてきた椎の木が、俄に、葉から枝から幹までぼっと燃え上りました。だが、燃えてしまったというのではなく、焔に包まれたというが本当でありまして、やがてその焔も衰え、崖から巻き上る焔も衰えました。
 大火災の煌々たる明るみの後に、暫し暁闇がたゆたい、それから、煙と灰に空を蔽われてる盲いたような一日となりました。それは一日だけのことでしたが、椎の木にとっては、来る日来る日がすべてそうだったでありましょう。幹や枝は半面焦げ、葉は落ちつくし、ただ下枝の先にふしぎにも若葉が少し残ってるきりでした。椋鳥や雀もどこかへ逃げてしまいました。
 後日、植木屋が来た時、その意見では、この椎の木が生きるか死ぬか、全く不明だとのことでした。或は夏すぎて時ならぬ若芽を出すかも知れないが、それから先が全く分らないとのことでした。
 夏の陽が照り、秋の陽が照
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