連れてゆくまで、彼は一言も口を利かなかった。一人になると、押入を開いてみた。奥の方に、短刀は隠されたままになっていた。
 彼はほっと息をして、六畳の方へ戻って、机の上に両肱をつき、頭をかかえた。
 松木から真正面に投げつけられた言葉が、次第にはっきりした意味をとってきた。彼は自分と光子との間柄を考え廻して、自ら驚いて顔を挙げた。
 真暗な夜の空に、星が粗らに光っていた。
 下宿を変ろう。そう思いついて、まだ決心したともしないとも分らないうちに、眼の中が熱く涙ぐんできた。そしてまた机の上に頭をかかえた。

      九

 からりと晴れた初秋の麗かな朝日が、縁側一杯に当っていた。彼はそこに全身を投げ出して、今後の処置を思い煩っていた。
 昨夜のことはけろりと忘れはてたような、晴れやかな顔をして、光子がとんとんと階段を上って来た。が、彼女はすぐに彼の顔色を見てとって、一寸立止った。その立姿が、すっと伸びて、まだ更に伸び上ろうとしてるかのようだった。
「光子さん。」
 そう彼は呼びかけながら、半身を起した。
「なあに。」
 じっと見つめると、その敏感な眼付と耳の根本の黒子とが、今迄気付かな
前へ 次へ
全45ページ中36ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング