歩き出した。
彼は石のように固くなった。声が出なかった。拳を握りしめてつっ立っていた。
その袖を、房子が捉えた。
「あなた、どうか……。宅は今気が立ってるところですから……。」
彼女のおどおどした様子に、彼は夢からさめたように我に返った。
「もう何にも仰言らないで……。それより光子の方が……。」
然し彼の頭は、俄にはっきりしてきて、松木から投げつけられた言葉が、胸一杯になっていた。
黙って足を返して、松木と反対に裏口の方からはいろうとすると、その板敷の上に小さな足跡が、黒い泥跡を残していた。彼は立止ってぼんやりそれを眺めた。
後からついて来た房子も、殆んど同時に足跡に気付いた。
「あ、これです、屹度。家にはいったのでしょう。」
彼は咄嗟に直覚した。いきなり駆け出して、二階に上ってみると、そこの三畳の方の隅に、光子は小さくなっていた。
彼は惘然とつっ立った。その膝頭へ、光子はふいに泣き出して取縋ってきた。
そこへ房子もやって来た。
「まあ! お前は。」
後は言葉がなかった。
彼はがくりとそこに屈んで光子の頭を撫でてやった。
房子が光子をなだめすかして、無理に階下へ
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