ことのある部屋をたくさん次々に体に見せるのであった。その間、体の周りには、眼に見えない壁が、想像された部屋の形に従って場所を変えながら、闇のなかに旋回し続ける。……私の体、私の下にしている脇腹は、私の心のどうしても忘れえない過去を忠実に覚えていて、細い鎖で天井に吊した壺形のボヘミヤ硝子の豆ランプの焔や、シェナ大理石のストオブを私に思い起させた。それはコンブレエの私の寝台、祖父たちの家での遠い昔のことで、今ははっきり心に思い浮べないで、現在のことのように思っているが、やがてすっかり眼が覚めたなら昔のことだったとよく分ることでもあろう。
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[#地から2字上げ](淀野・佐藤共訳)
 これは、マルセル・プルーストの小説「失いし時を索めて」の一節である。そしてこの主人公「私」は、体の持ってる記憶からばかりでなく、一杯の茶の香りからさえ追憶の連想によって、昔から今までのさまざまなことを意識の表面によび戻して、それをじいっと考え続けるのである。一人の少女に出逢ってから、それに初めて言葉をかけるまでの間に、百ページを満たすだけのいろんなことを考える。しかもその百ページは、愛につ
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