姿が、視覚にも映ったのだった。
 こういうことは誰にでも時として起るものであって、それは超現実界の思想が吾々の意識にひょいと顔を出したに過ぎない、とブルトンはいう。そして彼は、吾々の精神が一々批判を下す遑のないほど急速な独白を、時として或る種の病人がなすのを見て、思想そのものの速度は舌やペンの速度よりも早いと推定した。その推定を実証するために、彼は友人のフィリップ・スーポーと一緒に、あらゆる意識的な考慮をぬきにして、思想の動くままにやたらにペンを走らしてみた。そして出来たものは殆ど判読し難いものではあったが、それこそ実は、思想そのものの独自な姿を如実に示すものだというのである。
 かくて超現実主義は、文学を理性や修辞学から脱却させて、吾々の精神の本来の働きを自動的に記述させようと試みる。
 また例えば、新即物主義もほぼ似通った見解の上に立っている。新即物主義は元来、抽象的な観念を排斥し、空虚な感情の昂揚を排斥して、事物の直接把捉を主張したのであるが、写実的な外形的な叙述を無意味であるとし、所謂報告文学のようなものを無価値であるとして、作者の無意識的な内部運動を重要視する。従って、例えば
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